良い人を演じる私

今、神経がすごい過敏で、人の心の動きを捕らえすぎて疲れます。

薬を飲んで、神経の活性化を抑えています。

この神経の過敏さはたぶん生まれつき。

感受性の強さもそこから来てるんじゃないかと。

ものすごく神経が過敏なときに考えすぎが加わって精神が不安定になります。

いまはいろいろなことが思うようには事は進まず、どうやってもいい方向に向かわないですね。

我慢する時期かも知れませんが、今の場所は自分を悪い方向へ向かわせるのはよくわかっているので、がらっと環境を変える必要があるとは思います。

しかし、夢というか自分がどうしたいのかよくわからなくて。

何にも興味を持てない。

ここ一年そんな虚無感に覆われています。

過去の記事を読み返してもたぶんそんな感じが見て取れるのではないでしょうか。

一年半前のことはそれだけ心を失わせるのには十分なことだったんでしょうね。

薬を飲み始めた半年間はすごく焦りを感じて何かをとりあえずやらなければと考えましたが、それらがすべて空振りに終わったとき、喪失感を感じず、虚無感に覆われました。

またこれまでも、そばに友達や彼女がいないことに寂しいと思うことがあっても、本当に相手に興味を持ったことはないです。

相手に心を預けようとしても、離れていくし、傷つくのが怖いから、相手の本心を知りたくないのです。

それがあって普段は自分の領域に人が入ってくること拒否しているので、達観しているとか、本音が見えないとか言われますが、信頼する人には全部開けっぴろげにしてすべて預けてしまうので、対象となった人にはすごい重いでしょうね。

つまりどっちにしても人が遠ざかっていくので、それらを理解してくれる人でないと本当の私に近づくことは難しいのかな。

あえてそうしてまで近づく人は少ないでしょうけど。

でも本当は、本音をぶちまけられ、べったりくっついていられる友達や恋人がほしいのかな。

たぶんそれが満たされればこの虚無感は消えるのかもしれません。

この先も、本当に人を好きになる事なんてあるんでしょうか。

もう一つ。

カウンセラーには自分の幸せを考え、自分を大切にしなさいと言われます。

必要以上に何かを背負おうとしているらしいです。

よかれと思ったことが、ある意味お節介だというものもあるようです。

もしかして自分が不幸せになる選択肢を無意識に選んでいるんではないでしょうか。

他人に置き換えるとそれはNGのフラグというものあえて選んでいたりします。

過酷な状況、重い責任をこなすだけの能力も自信もあるようだが、もっと適当でいいとカウンセラーに言われます。

なぜそうなっているのか、今の状況に耐えられないと家族に相談しても、父親や弟は、我慢しろ、サラリーマンでいろとひたすら言います。

踏ん張らなければならない自分しか認められないと思い込んでいるのかも知れないです。

寂しさは、これらを受け止めてくれる人がほしい、というところからきてるのだと思います。

優しさは与えることができても、もらうことは難しいのかな。

普段、自分が強くがんばっているだけに、それとは逆に包み込んで支えてくれる人はまず現れにくいのだと思います。

人にいい人だと思われても好かれることがあっても、支えたいとか守りたいとか愛されることはないんでしょう。

弱い自分を理解して、がんばらなくていいんだよと、包み込んでくれる人がほしいだけなんですが、無理かな。

私の外観も良くないし、あえて踏み込んでくる人はいないでしょうね。

結局、恋人がいなくて寂しくて、何にも興味が持てなくて虚無感に覆われているだけ。