三度目は
三度目は、2009年の夏から2010年の正月にかけて。
2009年の6~7月にかけて、使い物にならない社員をあてがわれて、面倒を見るように指示されたが、本当に使い物にならずに、任せた仕事を全てやり直すのに8月、9月と社内工数(人件費)を掛けてしまい、サービス残業で尻ぬぐいをだいぶやった。
早々に取り戻したはずなのに、会社側はそのコストについてだいぶ五月蠅く追求してきた。
10月、直上の上司が鬱になって配置換えが行われた。
私が、プロジェクトリーダーになった。
当時、1日に3人分の仕事量(リーダーの仕事、商品開発の仕事、工程管理・製品チェック・納品管理)があてがわれていて、一日15時間(通勤と休憩込みで拘束時間は19時間)の仕事をサービス残業でこなしていた。
当然、土日の休みなんてなかった。
そんな状況でも、コスト削減と称して、派遣社員を次々と切っていった。
やがて、対顧客の業務に支障が出始めてきたので、再三にわたり、人手が足りないことを上申してきたが、受け入れられなかった。
11月、12月の段階で、月の残業時間が160時間を超えていた。
もうこの頃には、左半身が動かなくなる、頭を傾けると目眩が起こる、立ちくらみがする、夜は眠れない、呂律が回らなくなる、単純な作業でもミスをする、物忘れが激しくなる、なんの意欲も湧かなくなるという、重度の鬱状態に陥っていた。
2010年1月、新年早々の社内行事で、写真が上手く撮れずに、1週間も社長から叱責され続けるという事態。
そして決定的だったのが、年末納品したものが、顧客、私の両方のミスで足らない状態になっていて、それを顧客からかなり苦情を入れられたことで、社内で対策会議が開かれ、私が人手が足りておらず、工程管理・納品管理にミスが起きたことを説明したが、生意気な中途社員Eの横槍で、私の作業量が多くないと嘘の報告をされ、結局、人数補充がされなくなってしまったことだった。
そもそも私が3人分の仕事量に追われる羽目になったのも、Eが仕事をせずにネットサーフィンをしている所為で、私のところへしわ寄せ、尻ぬぐいをしていたのだった。
さすがに、仕事量が多すぎて、このままでは過労で死ぬか、自殺するかの状態に追い込まれてしまったので、かかりつけ医に頼んで、仕事量を減らすように診断書を書いて貰って、会社に相談したが、取り合って貰えなかった。
激しい自信喪失、人間不信に陥っていて、このままでは本当に死んでしまうと思ったので、会社を1ヶ月にわたって休み、会社に退職願と診断書を送りつけた。
その間、何度も会社から連絡が来たが、全部親に出て貰い閉じ籠もった。
1ヶ月して、なんとか人と話が出来るぐらいになった段階で、会社に行き、退職の挨拶をした。
その時に受けた、カウンセリングでは、重度の鬱状態、つまり重症と診断されていた。
それから2ヶ月ほど自宅療養して、ようやく自分で車を運転できるほどには神経の調子が戻り、かつての趣味だった写真を再び始めた。
写真を再開してからは、調子が良くなっていたが、カウンセリングは再就職する翌々年の夏まで続いた。
重症の鬱状態で完全に自信喪失した状態から、普通に就職活動できるまで2年半も掛かった。
2年半の間には、アルバイト的なことを1ヶ月ほどしたり、職業訓練所に通って電気工事・通信設備施工技術を学び、電気工事士の資格を取得した。
このときは、自分で事業を始めたいと本気で思っていた。