何度も倒れたけれど、諦めない
鬱になったのはブラック会社で働き続けたからだけではない。
毎日、朝昼晩と命令を受けやった仕事が夕方には「何故やった」と叱責・否定され、翌朝には命令され修正した物を見せれば「何故変えた」と叱責・否定され続けた。
自分のことだけなら堪えられた。
女性部下がつくと、部下の分まで叱責され続けた。
指導しても全く言うことが響かない。
毎日同じミスをする部下。
それも毎日耐えた。
一年近く庇い続けた部下の人生まで背負う覚悟を会社からさせられた。
毎日深夜に及ぶ残業、終電を逃す部下、毎日家まで送り届けること半年。
責任感と義務感から恋愛感情とないまぜになってた所で、部下にあっさり振られた。
もう立つ瀬がない私の心は疲れ果てていて、壊れた。
それでも耐え続けた。
それから暫くして部下は会社から首を宣告された。
私は崩れ落ち立てなくなった。
鬱だと気づいて、知り合いの薬剤師さんを頼って、心療内科を受診した。
それから2年を掛けて、カウンセリングと投薬なしまで回復した。
原因となった部下が退職して居なくなったからだ。
しばらくして、新たな火種の男性社員が会社に採用された。
自称デザイナーの元アパレルの卸の営業職、印刷オペレーターだった。
何に対しても自己中で、肥大した自我の持ち主で、周りと衝突が絶えなかった。
同じ部署に所属したが、当時女性派遣職員の取りまとめを会社から任されていた私は、女性職員へのちょっかいを牽制する立場だった。
問題の自称デザイナーの社員は、歓迎会の席で派遣社員へ手を出そうとして失敗したのを、私は揶揄して、「作戦失敗だな」とポロッと口をついてでてしまった。
歓迎会の後、問題の社員と他正社員数人で反省会と称して、飲み屋に連れて行かれ、正面切って脅しあげられた。
投薬なしまで回復してたといっても心が弱ってた私は2度目の鬱に陥った。
翌週の初日に会社を休んで心療内科を受診して投薬治療が再開された。
それからは常に緊迫した職場だった毎日、問題の社員と顔を合わせる訳だから。
しばらくして大きな継続案件を受注して残業が多々あれど、比較的安定していたが、欲を欠いた会社側が派遣切りを始めて、労働力が足りなくなってきた。
直上の上司が東京に派遣され、替わりの上司が来たが、仕事量の多さ、問題社員の仕事の出来なさに悩まされ、上司が鬱になり、見かねて会社に上司の配置換えを頼んで、我々のプロジェクトから外れて貰った。
残った我々から私がリーダーになった。
鬱は治ってなかったが症状は軽くなっていたので、なんとか月180時間の残業をこなしながらプロジェクトを回していた。
年末に仕事量の多さから納品ミスを犯してしまい、会社から原因を追求されたので素直に人手が足りない、私に負荷が掛かりすぎていることを報告したが、あろう事かそれが本当かどうか、問題の社員に会社側が確認をしてしまった。
仲が非常に悪かったので、問題の社員は私にまだ余裕があるように報告した。
その場に私は居たが、ポリシーとして言い訳はしない人間なので、それは違うとだけ抗議したが受け入れてもらえず、労働力の追加は認められなかった。
問題の社員は仕事ができないので私が自分の業務のほかに、そいつの肩代わりを毎日していたことをそいつは知らない。
そいつは朝から晩まで、会社でネットサーフィンをして、業務には全く関係ないマイナーなプログラム言語をやって遊んだり、マンガを読んだりしていたことを把握していた。
たまに業務をやらせれば、未完成の愚にもつかないものを出してきて、無駄なコストを使った分、私が土日に出勤して無賃労働で穴埋めしていた。
先のミスでお客とトラブルになり、人員増加に失敗して、首の回らなくなった私は3度目の鬱になった。
診断書をもらい会社に提出しようとするもスルーされてしまい、このままでは死ぬと思い、会社をボイコットして連絡を絶ち家に引きこもった。
1ヶ月後、なんとか人と会って話ができる程度には回復していたので、会社に行き退職の手続きをとって、1回目のブラック会社から解放された。
2年近く療養して、職業訓練所に通い、電気工事師の資格を取得して、光ファイバーの施工技術を身に付け、再就職活動を開始した。
26社応募したが面接にこぎ着けたのは8社。
ホームページの管理として正社員募集していた医療法人で漸く採用されたので、藁をもすがる思いで就職したが、実態は最悪だった。
雑務の中で15%しか時間がとれないのに30人月のシステム開発を3ヶ月で実現しろとムチャクチャを要求され、院内新聞や理事長のプレゼン資料作成やら、施設の行事、設備補修、それらをこなしたにも関わらず、契約社員のままに据え置かれ、手取り13万円。
さらに毎回理事長が出社してくる度に、人間性の否定をしてくるため、睡眠障害に陥り、不規則の休み、無許可の介護タクシー業務でのトラブルがかさなり、4度目の鬱。
東京なら月収80万を下らないベテランSEが、調理補助や介護タクシー、設備補修、事務補助で、メインのシステム開発を全否定され、手取り13万円。
鬱にまでなって。
もう耐えられなくなって退職。
睡眠障害が治らず4年間も無職のまま。
このままなにもできずに人生が終わるのは悔しい。
システムエンジニアになることは小学生の頃の夢だった。
とりあえずその夢は叶えた、敗れたけれど。
第二の人生の目標は、結婚して家を建てて、喫茶店のマスター兼写真家になること。
写真は売れなくて良い、好きなように撮りたいから。
喫茶店のマスターになる方法は分かっている。
資金を貯めて、豆の仕入れ、ケーキの仕入れ、保健所の許可、店を出す資金。
あとは資金繰り。
具体的な資金のめどがつかないことと、体調の所為で長時間労働が出来ないことがネックになっているけれど、夢は諦めない。
そして最後の目標は、みんな笑っていられる場所を作ること。
諦めない。
生きた証を残したい。