丑の刻

神社に行って大きな木の裏を見ると、そこにはわら人形が五寸釘で打ち込まれています。

よくある話ですが、丑の刻参りをしている姿を見られると呪いは自分にかかります。

人を呪うことができても自分も呪いにかかります。

人を呪わば穴二つ。

穴は墓穴、自分の墓穴を用意することを覚悟して呪うのです。

呪いとは負の願い。

では正の願いとは。

そう祈りです。

人は何かしら祈り、その内容を実現するため行動します。

負の感情も正の感情も両方あるのが人間。

人を憎み呪うくらいの激情があるなら、それと同じくらい自分が幸せになる祈りをしてみましょう。

見えている世界が変わるよ。

僕は人に陥れられても恨むことも憎むこともできません。

嫌いだ、逃げなきゃと思って逃げることはできます、多分、失敗してますが。

あとでグチグチと悩むことがあってもその結果は自分の所為だと思ってしまいます。

自分に非がなくても。

今の鬱も擦り込まれた親の価値観と宗教の影響が大きいです。

人を憎んだ方が簡単ですよ、きっと。

だって全部他人の所為にすれば良いんだもんね。

まあ何年経ってもそんなことは僕にはできませんが。

まあすべての出来事の責任、因果が自分にあると思うのも傲慢かもしれませんが。

宇宙は僕が知る以上に大きく複雑で、人間なんて、テニスボールについた埃ぐらいの存在です。

大きく悩んでも仕方ないし、未来を綿密に計画しても無駄です。

多体量子論をやったら人間の物欲と拝金主義にとらわれた古い価値観なんて吹っ飛ぶからねぇ。

大切なのは今、この一瞬の幸せ。

それを生み出すのはお金や物じゃない、人の心のつながりとという不確かなもの。

不確かだからこそ大切にしなければ切れてなくなってしまいます。

丑の刻参りを考える程に憎むくらいなら、大切な人を愛する力に変えた方がきっと幸せだと思います。

愛する者を奪われたら、もしかしたら人を憎むかも知れませんが。

まだそんなに愛する人が自分の隣にいたことがないので・・・。